ロシアン ルーベッド

SF小説です。自分の殻を破った「新しい価値観」というものを考えてみました。

ロシアン ルーベッド 2-8節 安楽死

8節 安楽死

 

 ここでいう安楽死とは、「苦しまず、他人に迷惑を掛けることなく、望んで訪れる死」を指す。学問上の安楽死は… かつてオレが「死にたい」と思った時に、何度も調べたから、まだ覚えている。

 

 たしか、病気の予防・救命・回復・維持のための治療を開始しないまたは中止する「消極的安楽死」と、薬物投与や服薬で本人の意思に基づいて死に至る「積極的安楽死」とがあった。積極的安楽死とは、別の見方をすると、良く見れば自殺幇助、悪意で見れば他殺にあたるワケだ。現在世界で「他人による積極的安楽死」認めているところはというと…

 

 ダントツに歴史が古いのは一九四二年のスイスで、あとはおおむね二千年代にはいってからのベネルクス3国(ベルギー、オランダ《ネーデルランド》、ルクセンブルク)、 カナダ、オーストラリア、韓国あたりである。

 アメリカは例によって州ごとに異なり、オレゴン、ワシントン、モンタナ、バーモント、ニューメキシコ、カリフォルニアの各州が認めているという。ただし日本人がいきなり行って「死にたい」と言っても受け入れては貰えない。

 

 「安楽死」とはいえ殺人はできない。したがって実際には自殺幇助の形式で毒薬や点滴液などを提供するまでに留まり、自殺の開始は本人が選択するのだという。まあ当たり前といえば当たり前のことだ。

 

 日本では実情はどうあれ、消極・積極いずれにしても安楽死は認められていない。そこで現実と理想の狭間を縫う形で、こんなサービスなのかもわからない違法行為的システムが考案されたのだろう。

 巧妙なことは、これにはゲーム的な射幸性が付加されている点である。勝てば他人の死をじっくり観察できるし、ときには手を下すこともできる。負ければ自分の死を他人に見られてしまう。見られるとは、裏を返せば認知され、アピールできることなのだ。

 

 そう、スリルと実益を求めて、カネだけはあるヒマ人が群がってきたのだ。

 

 あれ? 巡り巡って、結局は平凡な結論に落ち着いてきた気がしてきた。結局これって、厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)じゃないのか?

 

 歴史マニアなら御存知の「厭離穢土欣求浄土」、これは徳川家康さまの旗印。他にも武田信玄さまの「風林火山ふうりんかざん)」とか、上杉謙信さまの「毘(び)」、石田三成さまの「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」なんかは聞いたことがあると思う。

 

 厭離穢土欣求浄土って、この世は汚くてヤダな、早く浄土(死後の世界)に行きたいな、みたいに見える。だから家康さまが

『討ち死にしてでも頑張ってこいや、徳川家のために』と督励する意味かと思ってた。

 

 改めて調べ直したら、上の解釈はかなり違ってたようで、本当は、現世の穢れた世界を厭(いと)い離れ、次の世では清らかな仏の国に生まれたい、という意味らしい。

 

 うん、やはりこっちの方がいい。だって救いがある気がするじゃん。

 

 かつて、かの数学・物理学者のアイザック・ニュートンはこう言ったと伝えられている。

『天体の動きなら計算できるが、群集の狂気は計算できない』

狂ってはいないはずなのに、ここのヒトのココロは、計算できるものではなかった。

そして… オレのココロも、今それに同化しようとしている。

 

 膨大な金額をホテルに預け、住む全員が念書にサインしてはじめてS階に住む権利が得られるというのだが…もうぶっ飛びすぎて、まだちょっと理解が難しい。

 

「ミナも…だけど、レナもサインしたの?」

『あ、うちはおじいちゃんとおばあちゃんが望んでいるの。二人を見送ったら、レナたちは退去するのよ』

「ふ~ん…それまでの、仮の住まいってことか。あとは… まあそういうことね、なるほどなるほど」

 

 ホントは、死体処理…とまで言いかけて、慌ててコトバを濁したオレ…。

 

 ホテルはこの「サービス」が外部に漏れないように、自前の霊柩車を保有し、死体検案書を書かせるために医者を雇い、おそらくは警官および警察に賄賂を使い、市役所の死亡届に関わるものを籠絡(ろうらく)し、火葬場にも鼻薬を利かせているのだろう。

 

 最初、あまりの衝撃に、いきなり受け入れることができなかった。

 

 本当だろうか… 夢じゃなかろうか?

部屋番号をシャフルするところといい、死を賭けるところといい、まさにアレみたいじゃないか。

 

 そう…

「ロシアン ルーレット」だ。

 

 リボルバー式の拳銃の、銃弾を込めた回転するシリンダーの代わりがベッドルームの番号になってるシステムなんだ。

じゃあオレがこのシステムに名前を付けちゃおう。

 

 「ってことは、レナ つまり… ロシアン ルーベッド ってことね」 

 

『うまいっ! そ、そういうことね』

レナが褒めてくれた。

見詰め会って二人で大笑いした。

 

 ガチャっとドアが開いて、

『やあ。こんばんは… こりゃどうも暑い夜だと思ったよ』

皮肉を言いながらサブチーフの中村が入ってきた。

 

 レナが足を引っ込めながら挨拶した。

『こんばんは、サブチーフ』

 

オレは周囲を見回し、声を潜めて語り掛けた。 

「ふふふ、今名前を付けてたんですよ、中村さん」

『なになに』

「S階のアレですよ… 、あの仕組み… ロシアン ルーベッドって」

 

『なにそれ?』

中村は褒めてくれなかった。つまらない顔をして、

『アレの? ふっ…便所行くわ』と出て行った。

 

『ウケなかったわねタク、ふふふ、おやすみなさい』

「む、無念じゃ… おやすみ、レナ チュ」

『良い夢見てね チュ』

レナもニッコリ笑って出て行った。

 

 そういえば、このシステムの利用料金を訊くのを忘れていた。いくら支払えば参加できるのだろう。死んだら支払うことはできないから、前払いかカードだろうか?

 

 それより… もしもこれが発覚したら、ホテルと関係者だけでなく、S階の御客様すべてが共犯になるだろう。世の中ひっくり返す一大スキャンダルになるな、とオレは思った。まあ、バレなきゃいいだけの話だ。